2025/02/22

私は如何にして心配するのを止めて眼鏡を愛するようになったか

なぜ私は眼鏡をかけた男性、および男性キャラクターが好きなのかを探ります。すげーどうでもいいな

(あまり思い出したくないが)私の実家の家族、父方親戚に眼鏡をかけているものはおらず、だいたいみんな視力がよく、裸眼だった。母は近視だったがずっとコンタクトをつけていた。

遠いから滅多に会いに行かなかった母方親族の義伯父が、唯一、眼鏡をかけていた。

義伯父は九州男児ではあったがとても優しくて、漫画、特にドラゴンボールが大好きで、頭はいつも実験に失敗した博士のように爆発していて、理系で、犬好きで、子供心に「このおいちゃん素敵やな、うちの父親と全然違う」と感じた。たぶんこれが眼鏡をかけた男性に好感を抱いた最初の記憶である。(やがて小学校に入り、眼鏡をかけた男性教諭との遭遇もあったがどいつもこいつもクソみたいな教師であったためこれらは除外されるものとする。)

たぶん義伯父の存在が、私にとって眼鏡をかけた男性=好感、好印象になったのだと思う。

それはそれとして私はいわゆる“イケメン”に興味のない人生を送ってきた。中学時代、ジャニーズのヲタクがジャニーズアイドルがびっしり載った下敷き見せてきて「ねえ、どれが好き?」と尋ねてきたときは本当に困った。好きな芸能人を訊かれるのも苦労した。そもそもジャニーズみたいな女顔や童顔の男に興味がないのである。私がテレビを見ていいな、と思うのはお笑い芸人がお仕事でやってる女装姿や、正月番組の袴姿だった。(眼鏡フェチに加え女装フェチ、和装フェチであった)だがそんなことを言える空気ではない。昭和の俳優とか時代劇に出てくる男前ならかっこいいな、とも思えたけど、そもそも容姿でひとを褒めたりもてはやしたりすることにある種の苦痛を感じていた。勿論、テレビに出てくる俳優さんや女優さんが美しく、価値があることは理解していた。(女優という言葉が好きなのであえて女優という言葉を使います)

すべての問題の元凶は私の母親である。母は海外ドラマの白人俳優や女優をたくさん見て育ち、「なんて美しいのだろう!」と強く思い、そして外見だけはいい(顔がめっちゃ濃い)が内面が最悪の日本人の父と、“目が二重の、美しい娘を産むために”結婚した。母の計画は成功し、私の顔はおおよそ父に似ている。そのために他人から容姿を褒められることが多かったが(だが奇妙なことに、12才になるまで母から容姿について言及されることはなかった)、顔のことを言われるのは私にとっては苦痛だった。私の顔は私の努力によるものではないし、私の顔が多少人より優れていても、別にそれは女優レベルではない半端なものだし(二重だって両目で揃ってないし完璧ではない)、なにより私の育った家は機能不全家族で、両親は私を生まれた頃からずっと虐待していた。それでも母親は虐待その他による精神疾患でボロボロで苦しんでいる私に「でも、あなたはその顔があるんだから、大勝利でしょう」と平然と言う人だった。母には人間の価値が、美醜でしか判断できないのである。人の内面をみることができない。母には精神疾患があったが、おそらく、発達障害かあるいは何か著しい認知の歪みのようなものもあるのだと思う。私以外の家族全員が、美しい俳優、女優、その類に夢中だった。私だって美しいものを美しいと思うことはあるけど、主に母のそれは何というか次元が違っていた。ずっと気持ちが悪かった。

私の顔は、母が生み出した“呪い”であった。いまでは、鏡を見るたびに私を虐待した親にそっくりな顔をしている自分に絶望を覚える。色の白さも、髪質も、体質も、遺伝している。それを実感するたびに私は死にたくなる。実家の家族と断絶してからも、ずっと纏わりついてくる。繰り返し見る悪夢みたいに。

話がとっちらかってきたが、男性アイドルとかジャニーズとか、イケメン俳優とかイケメン声優とかにまじ興味ないんよな、なんでだろうなとか思っていたときに、“彼らは誰も眼鏡をかけていなかったから”か!? とつい最近気づいた。(ドラマとかで役を演じる上でかけたりすることはあるが) まあもともとの顔が好みじゃないから眼鏡かけててもあまり関係ない気もする……(じゃあこの話、何?)

あと基本的に眼鏡って「容姿を損なうもの」みたいな扱いがいまだにある。成人してから視力が落ち、仕事中は眼鏡をかけるようになった私もいろんな人から何回も「眼鏡ないほうがいいよ」と言われた。昔の女性は特にそれが顕著だったと思うし、いまでも容姿を気にしてコンタクトにする人は多い。このへんにも私が眼鏡を好む理由のヒントがある気がする。もっとも、男性の眼鏡はそれほどネガティブなものではなく、プラスに働いてると思う。眼鏡男子ブームとかあったし。

なんかもう考えるの疲れてきた。好きなものは好きだからしょうがない、それでええやろ。そう、フェチシズムは魂のもの狂い。