どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
(井伏鱒二)
「さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう」 と寺山修司は書いていますが、冒頭に引用したこれは漢詩「勧酒」の井伏鱒二による有名な訳です。私はこれをたしか峰倉かずや先生の漫画か何かで知りました。(実をいうと寺山修司との出会いも、峰倉かずや先生の作者コメントからでした。峰倉かずや先生は寺山修司の愛読者なので)
本題に入る。この季節になると思い出すが、20歳の私はとある店でアルバイトしていた。春がきて、花見(という名の飲み会)をしようということになり、私も参加した。
私の父はアルコール依存症である(タバコ、パチンコもやるしお姉ちゃんのいる飲み屋にも行く)。九州男児らしく酒にめちゃくちゃ強いので、ものすごい酒量を飲む。焼酎、ウィスキー、ビールなど。シラフだとほとんど喋れないが、アルコールが入るとよく喋る。そして翌朝には記憶を全て失っている。私が子供の頃から、玄関その他に排泄して靴を台無しにされるなど、父のアルコールでたくさん嫌な思いをしてきた。なので私は絶対に父のようにはなりたくないと思っていた。
(どうでもいいが私の父がアル中なせいで「あなたは、“本物のアダルトチルドレン”だね」とむかし Twitter で誰かに言われたが、はあ……そっすか……なんやコイツと思った)
20歳の私は(ずっと、小さい頃から変わりなく)死にたかった。父を反面教師にして、アルコールは一滴も口にしない! というほどの意志はなく、まあ飲んでみようかなと思った。やけくそのように生きていたし、桜を見ながら酒を飲むというのをやってみたかった。(※ただし私はずっと精神科に通院していて薬を服用しており、本来飲酒をしてはならない)
ブルーシートが敷かれていて、肌寒い。花見の季節というのは寒いものである。職場の社員なりバイト仲間の兄ちゃんやらが、焼きそばを焼いていた。
私はビールが飲めない。苦くて、血の味がする。なので缶チューハイを手にしていた。甘い酒なら飲める(梅酒やライチ酒もいける)。それで焼きそばだかなんだか、食べ物に箸をつけるが、飲酒をしながらだと食事がひどくまずい、というか逆で、“食事をしながらだと酒がまずい”ことに気づき、食事をすぐにやめた。私は缶チューハイをひたすら飲んでいた。10缶近く飲んだと思う。当然チェイサーなどない。お喋りもせず、ずっと無言でひとりで飲んだ。確か、たまたまバイト友達(お酒弱い)が不参加だったのだと思う。
これがまあ全然酔わない。酔わないので何も楽しくない。桜は美しいが、ただ、少しアルコールの味を感じるジュースのような甘い酒を飲み続けるだけ。まわりが盛り上がっているなか、私は「帰ります」と告げた。まだ完全に日没していなかった。
そこから自宅までは 3km以上あったと思うが、全くふらつきもせず徒歩で帰宅した。
(よく急性アルコール中毒にならんかったな)
後日、バイト先で違う部署の知らんおばはんが「あの子、花見の時ぜんぜんごはん食べずに、ずーっと酒飲んどったんよ!! しかも10本も!! 喋りもせんで!!」といろんなひとに言いふらしていた。他人に何を言われようがわりとどうでもいいし、そもそも事実なのでショックとかは受けず、ただ私の行動は「わざわざ言いふらすぐらいの奇行」だったのか、と思った。あとずっと私のこと観察しよるとか、暇なおばはんやなあ……。
おばはんは私に直接話しかけてきた。「あんたなんで、ごはん食べんかったん?」
「……お酒がまずくなるので」と答えると「ぎゃーーーーー!!! とんでもない、とんでもない、こん子!!! おとなしそうな顔しよるんに!! 本物の酒飲みや!!」とさらに騒ぎ出したので、うっさいなあ、さっさと仕事に戻れよと思った。
この話を夫にすると「素質、ある」と言われた。ほかのひとにも言われたが、真の酒飲みはつまみとか食いもんとか食わずひたすらアルコールを飲むらしい。しかし父はいちおうつまみを食うとったぞ。
母は、独身の頃、週休1日しかないのに毎週飲みに行っていたというし、しかしべろんべろんに酔っ払ったことはなく、むしろ酔っ払った友達をしょっちゅう介抱していたらしい。たぶんセーブして飲んでるんだろうが、まあ母は南九州の人間なので……酒に強いのであろう。
母は父が休暇で家にいるときのみ、たまに飲酒をしていた。だいたいビールだった。
船乗りの妻はマジのガチのワンオペなので、夜になっても夫は帰宅しない。緊急時、子供に何かあったらまずい、ということで母は普段飲酒を我慢していたらしい。
母のこの考えだけは、素晴らしいと思う。(でも父は毎日飲酒するのだから父おるときに母が酒飲んだら酒飲み×2 で詰みやん)(まあしかし飲酒我慢してても発狂して精神崩壊してたらもうお前が害なんやわ、世話ないわ)
(なので子持ちなのに夫婦で飲酒している親を私は完全に軽蔑している。責任感がないと思う。首都圏のやつら、車文化圏じゃないせいか子連れでもめっちゃ酒飲む。酒買っていく)
そう、私はおそらく遺伝によってアルコールにめっちゃ強いのだ。しかも、九州基準の“めっちゃ強い”なので関東においては“バリくそ強い”という感じ。
九州の人間の「お酒弱いです」は関東基準だと「普通に飲めます」やからな。
しかし酔わない、人生で一度も酔ったことがない。たぶん酔うためには父のようにすさまじい酒量が必要で、そんなん金と時間かかる。そんで体壊れる。アホらしい。
酒カス(死ぬほど嫌いな言葉)の才能はあるが、酒に逃げる人生を私は選ばなかった。オーバードーズもしたことない。ずっとシラフで生きている。
20代半ばごろ、私は訳あって高校生をしていて、私のことをすごく気にかけてくれた男の先生がいた。厳しく、なかなかにクレイジーな面もあるけどおもろい九州のおいちゃん、という感じ。そう、彼もまた九州男児であったが(というかその学校の教師、九州の人間多かった)、私によく声をかけてくれて(私のハードな生い立ちや精神疾患を知ってたからだと思う。あと保健体育の先生やし)、あるとき「おまえは真面目すぎるからいけん。酒を飲め。酔うてみい」と言われた。「でも私酒強いからぜんぜん酔わないんですよ」と言うと、「たくさん飲め。“チャンポン”や」という。とても教師と生徒の会話とは思えないが、私はアドバイスに従ってみることにした。
私は当時の恋人(現在の夫)に会いに行き、食事をしながらいろんな種類のお酒を注文した。まさに“チャンポン”である。結構飲んだな、と思ったがまあこれが全然酔わない。食事を終え、私は化粧室の鏡を見る。
私の顔は、真っ白だった。(元々、めっちゃ色白ではあるが……)
この話を当時通っていた精神科で話すと、精神科の先生が「あの、お薬を飲まれているので飲酒はNGです……」と言い、私は「そうやったーーーー!!!!」と思い出した。完全に薬のこと忘れていた。平謝り。もうただのバカである。
私は学校の先生に「先生の言うとおりにめっちゃ“チャンポン”したんですけど、全然酔えんかったです」と報告すると先生は渋い顔で「そうか━━」と言った。悲しいね。
そんで別のきっしょい男教師からのセクハラ、ストーカー行為、また別の男性教師とのバトルなどで私は高校を中退した。散々な人生やな。
「さよならだけが人生だ」
ところで夫である。夫は「酒にめっちゃ弱いわけではないが、強くはない(関東基準)」
夫は酒を飲むとすぐ顔が赤くなる。びっくりした。そんな人間生まれて初めて見た。酒が入ると多少陽気で饒舌になるような気がする。あとすぐ眠くなるタイプ。(地元の精神科の先生に「いちばんいいタイプです」と言われた)
しかし飲み会などの帰り、酒くさい。正直不快である。というのも、よくよく思い返してみると私の父が酒臭かったことなど一度もなかった気がする。肝臓のアルコール分解能力がバカ高かったのであろう。
夫は驚くべきことに、“毎日飲酒しない”。“自宅ではほとんど飲まない” “食事と共に、適量のお酒を楽しむ”。ぶ、文化が違う━━。
そういえば私は北九州に本社のある会社で働いてたこともあった。人事異動で新しく来た社員が朝礼で挨拶するが、完全に顔赤くて酒臭い。おいおい、大丈夫かよ。「酒臭くてすみません! きのうの歓迎会で飲みすぎて……」これが、“キタキュウ”かあ……。
あと夫のお父上から勧められてワインというものを初めて口にしたが「まっず!!!!」口には出さなかったが……。そう、ワインの洗礼である。葡萄酒などと甘そうな、うまそうな雰囲気醸し出しやがって。
どうやらワイン好きらしいお父上から「あなたのお父さん、ワインは飲む?」と訊かれたが、九州の人間はワインなんてシャレオツなもん飲みません!!!! 焼酎です!!!(※私調べ)
そんで意識はあるがなんか気持ち悪くなった。悪酔いってやつか? これが━━。この私がか?
※ https://todo-ran.com/t/kiji/14535 ワインの都道府県別消費量ランキング。1位東京、最下位山口。
私と酒の思い出はだいたいこんなもんである。
酒に溺れず、煙草ものまず、オーバードーズもやらず、酒で精神科の薬を流し込んだり市販薬(風邪薬とか咳止めとか)を乱用したり救急車呼んでない自分を褒めたい。なんか、“メンヘラ”はお決まりみたいにやるやん。というか“メンヘラ”だからってみんなと同じことやるのダセえ……。
SNS で病みアカ作ってつるむと碌なことないと思う。ほんと。でもそこに救われてる子もいるだろうからむつかしい。私だって 10代の頃は自殺系サイトに日参してたし……。つるんどらんが。
彼らにとっての SOS なんだとは思うけど、褒められた行為ではない。もてはやしてはいけないし「酒カス」という言葉も流行らしてはいけないと思う。あとストロングゼロをネタにする文化は本当に悪。
まあ私も自傷癖はあったし、他のアディクション(嗜癖)はあるけど……。
あと私は絶対に賭博をやってはいけない血で、なぜならヤフオクでほぼ負け知らず。さすがに支払い能力を超えた金額になると退きますが……。だいたい勝つ。好戦的なんよなあ。
夫がヤフオクで入札してると「いける! まだいける!」「あと×××円! 出せるやろ!?」「差せ差せー!!」みたいに煽ってしまう。絶対に競馬とか行ってはいけない。
話を花見に戻すが(え!? いまから花見に戻せるんですか!? 花見の話だったんすか!?)、結婚して上京してきて、コロナ禍前の上野公園で桜が咲き誇るなか、ジャパニーズ・サラリマンが黒いスーツで名刺交換していた光景を私は一生忘れないと思う。すげえ、本当にあるんや。あと草笛で「上を向いて歩こう」を演奏しているじいさんもいてエモかった。
ただし、上野公園で「静岡から来ました!!」と名乗りながら演奏していたバンドマンに対しては「しぞーかァ!??? 近ァ!!! 新幹線こだまですぐやろが!! 舐めるな!! こちとら 1000km離れたとこから来とるんぞ!!」と内心ブチギレた。
この問題に関しては南九州出身の母親もよく東北勢に「陸続きやん!! 近いやん!! こっちは関門海峡(海)あるしまず大阪までが遠いんやけど!!」ブチギレていた。それはそう。母の実家をGoogleMap で見るとマジ遠すぎて笑う。
しかし寺山修司が青森から東京を思うとき、それははるか遠く……。(東北は山が多いから東京へのアクセスが困難で、昔は特にマジ遠かったと聞きましたが、九州もめっちゃ山多いです。さらに中国地方もほとんど山です。日本列島ほぼ山やないか)
「東京、東京、東京、東京、東京、東京、東京、東京……」と寺山修司は書く。
北海道出身である玉置浩二は安全地帯の伝説のアンプラグド・ライヴで「TOKYO〜!! TOKYO TOKYO TOKYO TOKYO TOKYO〜!! なんて〜 つ・ま・ら・な・い〜 つまらなーい!!」と名曲「プラトニック>DANCE」を歌い出す。くっそかっこいい。マジで痺れる。
(これを観て、DVD買いましょう。私は買いました)