2025/03/29

他人の子供に何も言えず立ち尽くす夫と標準語のタメ口をきききらん私

週末、天気が良かったので大きめの公園に行った。
私はお花を摘みたくなったので夫に大きな荷物を託して公園内のお花畑に行った。夫はお花畑の近くの川? 水路みたいなとこの近くで待ってるね、と私に告げた。
お花を積み終わり、夫の元に向かうと、夫の足元で匍匐前進を行う未就学児くらいの子供が3人いる。夫の目の前にはフェンスがあり、フェンスの向こうは急な崖のようになっていてその数メートル下には水路みたいなのがある。恐るべき子供たちは、なんと “フェンスの向こう側”を這っていた。

私は状況を“理解”し、そして“把握”する。まず一歩引いて周囲を見渡す。近くには無関係そうな老婆しかいない。つまり近くに親がいない。そして私の夫は“固まったように無言で立ち尽くしている”。
「危ない、危ない」「危ないよ」私はあえて大きな声を出さずに(大声を出したりキャーッとか言うと子供がびっくりしてフリーズしたり転げ落ちて水路にインしてしまうのは明白)、子供たちに聞こえるように「危ない」と言いながら近づく。すると3人のうち、唯一の女の子が「危ないよ〜 そもそもかくれんぼなのにこれは違うじゃん」という。いちばん危険な位置にいる男の子もそれに返答し、やがて彼らは後退し消えていった。

私は「いやいやいやいや死ぬ死ぬ最悪死ぬ 普通に怪我する 崖と水路はやばい ていうか親!!! いやしかし子供は危険な遊びをするものよなあ……私もやったことあるし……でももう令和の時代の君たちの命の価値は昭和のそれとは比べものにならないのだよ、関口君」(さいきん京極夏彦の妖怪シリーズ9冊合本版買いました)とか考えながら、固まっている夫に「大丈夫?」と訊く。

夫が何も言えなかったのは、彼がひとりでいると「謎の中年男性」であるから“声かけ事案”になっちゃって子供がびびるのを懸念してかな? と思ったのだけど、違った。
夫曰く「自分も子供時代似たようなことをやっていたし、自分には止める権利がない」「彼(いちばん危険だった男児)には彼の(危険をおかす)権利があるし……それを自分が止めていいものかどうか」とか考えてしまい、“一言も、何も言えなかった”そうだ。

私はいたく感心、納得、というか「それでこそ我が夫にふさわしい」とさえ思った。いやまあ緊急性を要していたので大人として「危ないよ」ぐらいは言えたほうがいいけど、言えない気持ちも理解できてしまうので、それはもうしょうがないね!!! まあ今回は私が間に合ったし、結果としては怪我人は出なかったので……。
しかし自分に子供がいなくても「子供に注意しなければならない」シチュエーションに遭遇することってあるんだなあ……社会生活を送っている一員なので……。

あと私は私で「標準語のタメ口をきききらん(話せない)」ので「危ない」「危ないよ」しか言えなかった。「だめだよ」とかが言えない、緊急時なので余計に方言しか出てこないので「いけんよ」としか言えない。「いけんよ」を標準語「だめだよ」に翻訳するのに圧倒的にメモリが足りず、 Windows95 ぐらいの処理速度になる上に「だめだよ」とか人生で一度も口にしたことがないので言えたとしてもボイスロイドの足元にも及ばない、昔のロボットあるいは宇宙人のような「ダ・メ・ダ・ヨ」しか言えないと思う。急に中年女が「いけんいけん、いけんよ」とかいう謎の言語発してきたら東京のキッズには理解不能やろ。「あっち戻ったほうがいいよ」なら言えたか? これは方言だと「あっちもどり〜」になる。

私には10歳以上歳の離れた妹がいて、母が不在のなか、妹や妹の同級生を普通に叱ったり怒ったりする機会もあったからたぶんできたけど、過去の妹の同級生を叱った(というか向こうがこっちを舐め腐っていることがわかったのであえてのブチギレ仕草ないしは冷静な怒りを見せる必要があった)エピソードのいくつかを夫に説明して「こういう場面で毅然とした対応できる?」と夫に訊いたら「……できない」というので「そっ……かァ……」と思った。できないもんはしょうがない。(ただ、私の母親が「え〜私、よそ様の子供とかよう叱りきらん〜」とか抜かしたときは、本当にこいつ子供を産むべきでないしはよ死んでくれんかな……と思いましたが……)
私は相手が大人でも子供でも必要なら注意しきるし動ききるけどそれは身につけないと生き残れなかったからか性格性質なのかようわからん。

夫は「子供時代の自分」と「大人(現在)の自分」が別の存在であるとは認識してないように感じるんよね。連続性があり同一性を保っているというか……。これは私もそうなんやけど。子供時代の自分ってあくまで自分であって他人ではなくない? つまりまあ、永遠に子供の心を持っているんよな。(ぼくらはトイザらスキッズ!!!!)(夫とふたりでトイザらスに行ったことありますが……めちゃくちゃ楽しい!! 私は高速道路のジャンクションを模したおもちゃが欲しくて仕方がないし、ミリヲタの夫は戦勝国の銃や兵器のおもちゃに興奮。子供もいないのにトイザらスに何しに行くかって? おもちゃを見に行くんだよ!!! アメリカのクソでかおもちゃおもしれえ!!)

夫と結婚して共に暮らしていて、“夫はとてもよい父親になるのではないか” と感じることがあるし、でも私は絶対に子供を産みたくないので “夫が父親になる機会を私が奪っている” という罪の意識みたいなものを感じることが多少あるんやけど(でも絶対子供産みたい!!みたいな女と結婚してない時点でまァ……、という気持ちもある)、商業施設とかで子連れの母親が我が子を叱るために獣のような低音を出すときに、私と夫は両方被弾してしまう。くらってしまう。お互い、精神をやられ、体調も悪くなる。母親が低音で子供を叱っている、あるいは高音でヒステリックに怒っている場面がお互いに苦手(つまり全部だめ)。こういうことがしばしばある。なのであまり週末の家族連れの近くに行きたくない。

あと私がちょっと複雑な子供嫌い(たぶんおおいに生育環境やトラウマに起因している)で新生児、乳幼児を視界に入れると本気で気持ち悪くなるので現実でもインターネット上でも新生児、乳幼児を絶対に視界に入れたくない。未就学児〜小学生も無理なときある。子供の画像や動画は精神的ブラクラ。ただし、4,5才〜10才の子供と遊ぶのは得意。子供にいきなり話しかけられたら対応はできる。でもしつこいタイプの子供は無理。

母親たちの声について「なんであんな声が出せるんだろうね」と夫は言う。そりゃあ子育ては動物的な行為と社会的行為のふたつの側面を持つからだよ、子供の本能に訴えかける動物的な警告音を出すわけよ、と説明はつくし、理解はできるが、私もぐえーっとなる。ここで私は「私がもし子供を産んだら、子供を叱る私の声で夫が具合悪くなるのでは?」と仮定する。そう考えると、どうあがいても地獄の家庭の爆誕なので「じゃあやっぱ子を持つの無理やな!! まあ産む気皆無やし! はい終わり終わり!」と悟ることでいくらか気分が楽になった。