2025/03/16

なぜここまで「さす九」に反応しているのか “島”の血

なんでここまで「さす九」に反応しているのか、両親が九州人でも本州生まれ本州育ちなら関係ないじゃん、と思われそうだから書いとくけどまず私の父方は九州の“島”生まれの一族なんよ

もうこの時点でみぢかに“島”があるひとは察しがつくと思うけど“島”はまじで独特で、本土とは違う時間が流れてて言葉も文化も風習も違っていることがある。
現に、もう本土の一部の家では昭和の時点で終わっていたらしい盆正月の酒盛り(女は台所、男は広間で飯食い酒飲み、女なら子供にも酌をさせる)も普通にがんがん平成にやっていたわけ(見てないけど令和にもしてたっぽい、今はどうなったか知らん)。

さらに事情をややこしくさせるのが、私の父方一家は“島”のある集落で生まれ育ち、祖父は同じ集落の祖母と結婚して、父が子供の頃に仕事の都合で本州に引っ越してきてる。でも家の中では“島”の言葉を話すし家のこともなにもかも全部“島”のやりかたでやってる。なんかまるでちょっとした大使館みたいになってる。伯父(長男)の妻も“島”の同じ集落の人間だったし、そのせいで新陳代謝が行われず、ずっと昭和中期の価値観のまま、タイムカプセルみたいな家庭が維持し続けて、そうして父と南九州育ちの母(この母の地元は島ではないが19世紀的価値観を持つ農村)が結婚して、私が生まれてしまった。

私も子供の頃からお酌をさせられてきて本当に嫌だった。台所でずっと手伝いをして料理や酒、灰皿を運んだ。何もしなくていい、ただ遊んで食ってをしている男ども、従兄弟が全員憎かった。
そんで最近ようやく気づいたけど正月の集まりのときの席、祖母と長男の嫁の席は最初からなかった。私の母(次男の嫁)の席は一応あったけど台所で手伝いをしなきゃいけないから座ることはほぼなかった。
あとは恨みと憎しみばかりになるのでここらへんにしとく。

「さす九」自体を否定している九州のひとも見る。きっと近代的で、まともな家庭に育ったんだろう。でも私は体験してしまった。なので「さす九はない/なかった」とは言えない。でも“島”はレアケースでは? と言われるかもしれない。そしたら“島”に関係ないエピソードを出す。

そもそも「九州」って広くてでっかいんだけどご存知? って気持ちもある
私の夫は九州をひとつの島ぐらいに認識してたらしいかんね 九州内を飛行機で移動する話したらびっくりしてたし

あと男尊女卑って九州に限った話じゃないよね問題もある……
むかし匿名某所で愚痴ったら「埼玉の田舎もひどいです!」「東北ですがつらいです」とレスがついておお……と嘆くことしかできなかった