2025/03/29

子供時代の置き去りにされた自分を救うことについて フィクションの力

アダルトチルドレンの回復のためのワークを見ると「子供時代の自分にかけてあげたい言葉は?」「子供時代の自分を抱きしめてあげましょう。よく頑張ったね、偉かったね、と褒めてあげましょう」みたいな記述があり、めっちゃ苦虫を噛み潰したような顔になる。

「子供時代の自分にかけてあげたい言葉は?」
親きょうだいを殺すか自殺しろ、そのほうが早く楽になれる(殺人教唆と自殺教唆)
思わず笑ってしまう(なにわろてんねん)けどまじで本音これしかないんよなあ まるで寺山修司の映画「田園に死す」のように…… それか私がやったろうか? 任せろ!!(薩摩隼人の血25%配合ほぎちゃん)
ずっと地獄で死にたかった子供の自分に、よく頑張ってるね、えらいよとか言いたくないし(絶対言われたくない)生き延びたらいいことあるよ! 好きなひとと結婚とかできるよ! 楽しいことあるよ! なんて口が裂けても言えない。子供の私は、は? なんやこいつ死ね、って絶対思う。実際、生きてたらいいことあるよ! と抜かす大人に殺意抱いてたし。

まえに「今現在の自分の記憶を完全に持ったまま、実家の布団で目が覚める。自分は10代前半である」という夢を見て、夢のなかで「マジかよ……」と本気で絶望してもう「殺るか死ぬしかない、いまからまたもっかいやるの無理」って思ったけど目が覚めてそれが夢だったことに心の底から安堵しましたね……。

でも石田敦子さんの名作読切漫画「東京ソーダ水」での主人公から姪に対する「大人も 案外いいわよ」のシーンではすごく感動したのに……。

「子供時代の自分を抱きしめてあげましょう」
嫌。好かん、ようしきらんやなくて、嫌。(九州方言の「好かん」は「I don't like」に相当するが「嫌、嫌い」は「I hate 〜」に相当する。つまりよっぽどのことである)
子供は臭くて汚くて気持ち悪いから抱きしめたくないし、そもそも抱きしめる/抱きしめられるという行為が嫌いだしやりたくない。子供の私だっていきなり知らんおばはんに抱きしめられたら気持ちが悪いに決まっている。(実際小学生の時に好かん女教師にいきなり抱きしめられたことがあったが、化粧の匂い、体臭、体温が気持ち悪くて吐きそうになったことを鮮明に覚えている あといきなり私の身体に触れるな)
というかさあ……日本人の親って我が子抱きしめることある? フツーの健全な家庭を知らないからわからんのやけど、私は母親にも父親にも抱きしめられた記憶皆無やぞ

だが犬猫や動物のぬいぐるみは抱きしめることができるんよな。あと夫も。(夫に関してはまたすこし私側の問題があって別記事で書くかも)

あのさァー、思うんやけど、私みたいに攻撃的で好戦的な偏屈のひねくれもんには向かんのやない? こういうアメリカンな? ハートフル? なケアの方法。
それで思ったけど前述したように、芸術やフィクション(例えば漫画)の言葉のほうがよっぽど自分に響くわけです。

石田敦子短編集「いばら姫のおやつ」収録 「東京ソーダ水」。(Kindle にあります。おすすめ)
見知らぬ男性との飛び降り心中の生き残りである小学生の姪と東京で暮らす女性のお話なんですが「大人になりたくない」と生きることに絶望している姪に電話で話しかける名シーン。






石田敦子「いばら姫のおやつ」収録「東京ソーダ水」p134,135,136 より引用

この続きの見開きページとその後の展開はぜひ本編で読んでほしい……!!
この漫画は昔読んだときからずっとずっと好き。石田敦子先生ェ……!!!


以下、漫画「メダリスト」最新話(52話)のネタバレを含むので未読の方は要注意!!








私が大好きで惚れていて信じているライリー・フォックス先生という女性キャラクタのセリフ

━━「私大人のバカさに子どもがワリを食うことに怨念を抱いてるんで! アハハ!」
(つるまいかだ「メダリスト」52話より引用)

私もうここ読んだときに脳髄が痺れる思いをし、タブレットを持つ手が震え、ああああああああああー!!!!! ライリー・フォックス先生ェ!!!! そしてこれを描いているつるまいかだ先生ェ!!!! もう……もう……泣いた。涙出た。子供時代の置き去りにされた自分が救われる気がした。まさに大人のバカさにワリを食いまくってきた人生だったので……。
そう、この漫画はめちゃめちゃ信頼に値する大人がたくさん登場するわけです。その大人たちの会話、大人と子供のやりとりを見ていると、自分のなかの怨霊みたいなのが成仏していく感じがする。憑き物が落ちていく。
ただでさえライリー・フォックス先生がめちゃくちゃ好みで最高の女だと確信していたら、最新話でライリー・フォックス先生から予想以上のものをお出しされて、というか私個人にめちゃくちゃ効果抜群のセリフを放っていて、あまりの衝撃と感動に、もう独りで歩けない(Forever Love)。まじでふらついてまっすぐ歩けない。あまりに素晴らしいフィクションにふれると足元がふらつく。シンエヴァ観た後、足がよろけてなかなかスクリーンから出られなかったし映画館でよろけてた。

そもそも子供時代から芸術とフィクション(漫画、アニメ、小説、映画など)の力で生き延びてきて、これがいちばん私に向いてる気ぃするんやけどいけんのか? なんぼなんでも絶対に子供時代の自分に優しい言葉をかけ、抱きしめられるようにならんといけんのか? むつかしい注文なんやけど……。まあ物事にはいい面と悪い側面があり、ひとには向き不向きというものがありますが……。

フィクションとは虚構、つまりつくりものの“嘘”であるんだけどその“嘘”こそが私を救うんです。そこには“魂”が込められているので。