あれは実家の台所の入り口、引き戸の近くだった。たまたまそのとき両親(父親は船乗りだが休暇中)は近くにいなくて、そこでバラしたパーツを眺めて「おもしれ~ こういう仕組みなんや~」とか思っていると、両親が来た。
そんで、“私、プラスドライバー、分解されたアンパンマンカー”を見て、状況を把握し、もう、ものすんごい驚いてた。特に、父親が。
「こいつ、アンパンマンカー、ドライバーでバラしよる!?????? 3才で!???? しかも“女の子”が!!???????」と。
たしか「なんで? なんでこんなことしたの?」と訊かれたんですが、別に車体前面のアンパンマンが嫌いで取り除きたかったわけではなく、「あれ? これネジあるやん。ネジで止まっとるんか。これ外す道具、お父さん、使っとったな。あれでいけるんやない? やってみよ(父の工具箱漁る、プラスドライバー発見)(3才児の手の届く場所に工具箱置くな) →これや。これをネジの溝に差し込んで回して、と(当然ですが、父には使い方を教わっていません)……おお! やっぱネジとれた、外れた! 楽しい!! じゃあ他のネジも回して……」とやっていたわけです。遊びです。
……よく考えたら、3才児で、「プラスドライバー、マイナスドライバー」を判別、それに「ネジ穴のサイズに合った適切なプラスドライバー」を選んでるの、頭おかしくね? しかもネジ穴潰す(ネジがなめた状態)こともなかった。復元可能だったし。
この話、あれです。「親の記憶に強く残り、ずーっと言われ続ける系」のアレです。毎年、何かあるたび、思い出すたび、父は「おまえ、3才でアンパンマン、バラしよったもんなあ」と言われて育ちました。(アンパンマンをバラす!?)
先日たまたまプライヤー、ラジオペンチでちょろっと作業していたところ(ドライバーも好きだけどラジオペンチも好きでェ……ちょっとゆがんだ丸カン直したりとか改造したりとか、6才ぐらいから色々やってて、小学生の頃はサン宝石でパーツとか買ってラジペンなど駆使して色々やってました。ただプライヤーはたまたま家になかったっぽい)この話を思い出し、夫に「3才でドライバーでアンパンマンカー バラすん、普通はやらん?」「しないしない」と言われ、気になったので ChatGPT くんに訊いてみました。
ChatGPT:
それめっちゃすごいエピソード!!
3歳でドライバー握って分解って、もう完全に“技術者の魂”宿ってるやつだよ……!!
え~? そうなん~?
あと、父親が船乗りだから、バリバリ理系だからコンピュータとか好きで、富士通の「FM-TOWNS」買ったんですよね。1989年発売。価格は当時 50万円。
なんと当時としては珍しい(はず)、「マウス」がついてる、『ハイパーメディアパソコン』です。PC ヲタクならみんな知ってる有名な PCですよね。
父は、私も遊べるようにと、ゲームソフトもいくつか買っていました(プリインストール的というか、買うとおまけで付いてくるからこれで遊んでね!みたいなバンドルなものもあったっぽい)。覚えてるのは「ザ・ビジター 訪問者 THE VISITOR / 富士通 (FUJITSU)」「原由子の『眠れぬ夜の小さなお話』」(ゲーム版)、「アフターバーナー」(FM TOWNS のアフターバーナー、有名らしいですね)。
あと、なんか落語家さんが星座の話してくれるやつあって、天文学おもしろく学べちゃう、みたいな。(当時、父が星座の本も買ってくれた。ほら、船乗りって天文学の知識、必須だから)
https://x.com/kaz_s800M/status/1167629699171807232(そうそう、それそれ。記憶ある)
https://x.com/koen6330/status/1168186467518042113(ご本人の post 発見!柳家小ゑん師匠だったんだ! すげえ)
で、FM-TOWNS は買ったものの父は船乗りなので実家に置かれ、母も他のきょうだいも触らず、放置されてた。
というか母は昔(1970年代)「キーパンチャー」をやっていて、データ入力の仕事をしてたんですね。適性検査をパスして入社し、当時の特殊な入力方法で膨大なデータをコンピュータにキーボード入力しまくっていた。
なのですが、「夫は、妻である私に何の相談もなく、いきなり50万円もするパソコンを買った。しかも、仕事で使うわけでもないのに。しかも、船乗りだから普段家にいなくて、だれも使わないのに」ということで母は大変怒り心頭のようでした。
そこで私が 4才ぐらいになってから、FM-TOWNS で遊び始めました。父が簡単な使い方を教えてくれて、ゲームもあるし、自由に使ってええよ、というのです。
マウスがあるので、直感的な操作がしやすかったです。キーボード入力はまだ難しいからできてなかった(はず)。ローマ字とかまだわかんねえし。
父は、私も遊べるようにと、ゲームソフトもいくつか買っていました(プリインストール的というか、買うとおまけで付いてくるからこれで遊んでね!みたいなバンドルなものもあったっぽい)。覚えてるのは「ザ・ビジター 訪問者 THE VISITOR / 富士通 (FUJITSU)」「原由子の『眠れぬ夜の小さなお話』」(ゲーム版)、「アフターバーナー」(FM TOWNS のアフターバーナー、有名らしいですね)。
あと、なんか落語家さんが星座の話してくれるやつあって、天文学ちょっと学べちゃう、みたいな。(あと当時、父が星座の本買ってくれた。ほら、船乗りって天文学の知識、必須だから)
https://x.com/koen6330/status/1168186467518042113
これや。
と、いうか、父が NEC PC-98 でエロゲするようなヲタクだったらちょっとやばかったかもしれないですよね、これ。よかったなあ、父が富士通贔屓で。
そう、NEC PC-98 は名作エロゲたくさんあるが(エロゲのために PC-98 を買うヲタク、いた)、FM-TOWNS にはエロゲ、ない。(私はのちに Windows でエロゲをプレイし、エロゲキャラの美少女フィギュア買う二次元美少女大好きヲタクに育ちましたが……男性キャラも好きだよ、ケモ、人外もいいよね)
まあエロゲは持ってても隠すでしょうけど(でも子供って見つけちゃうんだよ 職場に隠せ)(職場にエロゲを!?)
当時の私の地元の電器屋さんって、PC-98 の売り場でモニタに二次元美少女のかなりエッチな感じのグラフィックとかデモ?が普通に流れていて、子供ながらに「おいおいおいおい、大丈夫かよ、ゾーニング(当時はその言葉知りませんが)。狂ってる」と思いました。
父は後にエヴァンゲリオンのヲタクになるけど、完全な『ヲタク』ではないんですよ、人種的に。「『ワンピース』好き!」みたいなミーハーな、ちょいヤンキー寄りの、おるやん、漫画アニメ好きなヤンキー。父は DQN やヤンキーではないがバイクで走り屋とかやってたやんちゃな青春ある。なんか自分たちのチームの名前つけてたって言ってた。名前は『“影”』って(※暴走行為はしてない)。やばくない? 『“影”』。爆笑したね。
だから、エロゲとか興味ない。二次元美少女に性的興奮しないタイプ(いやだよ親のこんな話)。 「綾波レイちゃん、好き!」だけど、いちばん好きなキャラ、断トツ「渚カヲル」ですからね父は。あいつバイセクシュアルじゃないけど、ヘテロだけど、イケメン俳優とか、基本『男』大好きなんだ。仮面ライダーとか大好きで(というか、庵野秀明とだいたい同世代なんだよ!!! 母もだよ!!!)、平成ライダーもハマりまくってたから。水嶋ヒロ、佐藤健大好きだから。
分かるよ。私もヘテロセクシュアルだけど、女の子、『女』好きだから。
私は FM-TOWNS のゲームに熱中し、「『眠れぬ夜の小さなお話』おもしれえ〜 メルヘンな動物たちの世界、いいわ~音楽もいい~」とか、「『アフターバーナー』おもしれえ~ ゲームシステムとかよくわかんねえけど飛行機かっこいいし、グラフィック美しすぎる、この夕焼け空が……」(ちなみに敵味方の区別付いてなかったので味方補給機を爆撃しまくってました) (アフターバーナーで味方補給機を爆撃しまくる4才児、最高やろ)「星座のやつおもしれえ~ 落語家さんの語りがいい……」とかめちゃくちゃ楽しんでいて、どれもよかったけど、いちばん好きなのは「ザ・ビジター 訪問者 THE VISITOR」でした。
https://ameblo.jp/koorogiyousyoku/entry-11886325462.html
ビジュアル・ディレクション : 古川タク プロデュース:博報堂
https://ja.wikipedia.org/wiki/古川タク
古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただいく)、1941年9月25日 - )は、日本の男性アニメーション作家、イラストレーター、絵本作家である。日本アニメーション協会(JAA)会長。日本漫画家協会参与。
任天堂社長の古川俊太郎は子[1]。
技法の面では、1830年代初頭のヨーロッパで発明されたアニメーションの元祖ともされる「フェナキスティスコープ(Phenakisti-Scope)」を復興。絵を描いた円盤を回転させる原理というは分かっていたものの、具体的な製作方法が不明だったフェナキスティスコープを試行錯誤の末に再現することに成功して、1974年に「おどろき盤」と名付けた。これを用いたアニメ『驚き盤』で、1975年にアヌシー国際アニメーション映画祭審査員特別賞を受賞した。フェナキスティスコープ、ゾートロープを用いたジャンルでは第一人者である。
(あの大人っぽいおしゃれなイラスト描いてたん、戦前生まれのめちゃくちゃすごい神アニメーターさんやんけ 知らんかった ディレクションもしてるってことはストーリーとかも!? 絵本作家さんでもあるみたいやし)(フェナキスティスコープ、東京都写真美術館で見たことある!!!!!)
クリック操作のみで進めていくゲームシステム。アドベンチャー謎解きゲー?
なんか、メインストーリーはさらわれた王妃様を助けに行く感じなのですが、あんまそれ、意識してねえ。本筋あんま関係ねえ、でもめちゃくちゃおもしれえ、このゲーム。
任意のグラフィックをクリックすると、何かが起き、場面が変わったり人物が語り出したり、いろんな空間や世界に飛んで、いろんなひとや恐竜とか生き物がいろんな話してて、哲学的な会話もあり、なんというか、大人のウィットにすごく富んでいる雰囲気を感じとった。それが面白い。文字も表示されますが、私は幼稚園児時点でひらがなカタカナ完璧、簡単な漢字も余裕で読めていたので(あと人間がセックスで子を産むことを理解していた)、母を呼ぶこともなくひとりでずっとプレイしていました。
と、いうか、4~5才で CD-ROM を入れ替えてたの、おもろい。
で、「ザ・ビジター 訪問者 THE VISITOR」はクリアがけっこう難しいゲーム。RPGとかじゃないし。独特だし。それを、好きだからプレイしまくっていたら、ある日、なんか王女様を救っていまい、王妃様からお礼を言われ、なんか国? の英雄になり、クリア、できちゃいました。
父に報告すると、「!? おまえ、あれクリアしたんか!? あのわけわからん難しいゲームを!??」と言われたのを覚えています。なんか、できちゃった。
家にはファミコン(なんか壊れてて、私は使ったことない)、スーパーファミコン、ゲームボーイもあり(全部父が買った)、任天堂のゲームも遊んでいましたが、私が先に触れたのは確か、FM-TOWNS。PCゲーにはPCゲーの良さ、あった。
そうして世は1995年を迎え、空前のMicrosoft『Windows95』ブームが巻き起こるーー。
当然父はミーハー気質なので Windows95 PC を購入。私は当時、小学校に上がり、7才ぐらい(現年齢バレバレやけど、ええわ)。
で、これも当然、船には持って行かない私物 PCなので、家に置きっぱ。父はめっちゃ頭いい万能タイプなので Windows という初めて触る OS も、すぐ理解。で、子供の私も吸収早いから、すぐ理解。そんで私のおもちゃになり、私が遊ぶ流れってわけ。ゲームとか色々やってた。
その3年後、1998年Windows98 がリリースされたら父は今度はラップトップを購入。私は10才ぐらい。例によって父の休暇中は私が利用。ただし、インターネット環境はない。
たしかこの年齢で、Cドライブを漁り、「Windows」フォルダを発見。ひとつひとつ、このファイルはなんや、と開いてみたり。もちろん、削除するなど、PC 動作しなくなるような、ぶっ壊れるような危険なまねはしない。知的好奇心。
あとローマ字を早めに覚え、キーボード入力をマスター。でも完全独学なので、訓練された人間みたいな素早いタッチタイピングは今でもできません。やっぱ手元ちょっと見ちゃう。でも仕事では困らない程度の早さ。
ちなみにどちらもメーカーは当然、富士通。なのでプリインストールのソフトウェア、サンリオのゲームが絶対入ってる。私は Windows95、98 それぞれのマシンを気分で使い分けていた。(プリインストールのソフトの内容やバージョン違うから)
でもやっぱメインで触りたいのは、当時最新のWindows98になる。
ここで私はまた父の記憶に深く残る(大きくなっても何回も何回も言われるやつ)、「スクリーンセーバー、パスワード設定事件」を起こす。
スクリンセーバー、楽しい楽しい。デスクトップテーマ変えるの、楽しい楽しい。はぁはぁ。そんで、スクリーンセーバーを解除する際、マウス動かすなりなんかキーを叩くなりすれば解除できるが、「任意のパスワードを設定し、それを入力しないとスクリーンセーバーが解除できない機能」を知る。よし。やってみよ(いたずらとか、父に PC使わせたくないとかでなく、知的好奇心)。
そんで休暇で父が久々に帰宅。私が遊んだ後、そのままになってた PC を触ったら、「パスワードを入力してください」みたいなダイアログが表示され、スクリーンセーバーが解除できない。
父、「!????????? スクリーンセーバーが解除できん! パスワード!????? ……あいつの仕業や、あいつ、俺のPCにロックかけやがった……!!!!!!!」 (理解が早い)
私は「あーごめんごめん、ロック設定かけたままやった。お父さん使うの忘れてて。すぐ解除するわ」と謝ったが、父は全く怒らず、しかしめちゃくちゃショック、衝撃を受けたようで、「おまえ、俺のPCのスクリーンセーバーにロックかけよったもんな。ほんとあのときは『やられた』って思ったわ。俺、パスワードわからんからロック解除しきらんし。ほんと、おまえは」って何度も繰り返し聞くハメになる。
そんで2001年にはWindowsMe を購入、これは NEC 製で、なぜか私専用PCとして私の部屋に設置され、同年、ついに念願のインターネット回線導入(まずはダイヤルアップ、のちに ADSL)。
そんでもうインターネットの世界にのめり込む。そんでその頃 13才、OS のリカバリとか自力でやってた。サポートには電話したことない。なんか、できた。
で、まだ話あるんですけど、私の父は船乗り。9割方誤解されるけど漁師ではなく、海運業。荷物運んでる。貨物船って言ったらイメージしやすいかな?
(ていうか日本人、島国に住んでるのに船のこと知らなさすぎ!!!!! 社会科教師や医師ですら「船=漁師」って認識ある! もっと知って!!!)
ただし、父は輸出、輸入品などの荷物でなく石油を運ぶタンカー船に乗ってる。これ、めちゃくちゃ大事な仕事。インフラ。なぜなら石油からはガソリンとかとれる。これを運んで、そんで最終的にガソリンスタンドとかでいろんな車とか走る燃料になる。
で、外航船と内航船っていうのがあって、簡単に言うと、日本から海外の海まででっかい船で長期間運行するのが外航船。内航船は、日本国内オンリー。父は内航船、西日本エリア担当。
つまり、石油がとれるとこっていえば、サウジアラビアとかあのへん。これはだいたいみんなわかるっしょ。あそこからバカでかい板チョコみたいな大型タンカー(外航船)が超大量の石油を運ぶ。で、それを今度は日本国内で、内航船(乗組員5人ぐらいの中型船)が小分けにして運ぶ。で、貨物列車(鉄道)やタンクローリー(車)なども使い、日本全国に石油が行き届く。そんな感じ。
そんで私は中学生にしてヤフーオークションにハマって、メーラーで直接出品者と落札者がやりとりするという当時の狂ったシステムを使い(ほんと、クレイジー。eBayを見習え)おこづかいの範囲内で趣味のものを落札しまくり、近所の郵便局で振込しまくってた。
すると父から相談。
「船で使っとる業務用システムのPC あるんやけど、それのモニターが壊れた。古いモニターなんやけど、事情あってどうしてもそのモニターじゃないとだめで、いろんなとこに連絡したけど、どこも持ってないらしく、手に入らん。でもこれがないと仕事にならんから俺も船のみんなも困っとる。おまえ、インターネットでオークションやっとるやろ? モニターの出品あるかどうか見てくれん?」
「わかった。PC の システムの名前、モニタの品番、あと接続端子教えて」
「名前はな、『ハナシス』。モニターの品番はこれ、端子はなんかこれかな」
「オッケー、ちょっと待ってね。あったわ、これや!!! ジャンク品じゃないし、コンディションも良さそう。出品価格は○○円やけど、あんま需要ないっぽいし、まあ他に入札者とかいなさそうやから、とりあえず入札しとくわ」
「おお、あったんか! 頼むわ!」
「落札できた! 届いたー。梱包解いたけど、破損はなし。でも家のマシンと端子違うしこっちじゃモニタの動作確認できんから(あと一般家庭にハナシスもねえからな)、そっちで動作確認よろしく。船、次こっち(港)いつ寄れそう?」
「なるべく急ぐわー。たぶん○日ぐらい」
で、とうとう父がモニタを受け取り、船の PCに、私がヤフオクで落札したモニタを接続!
「映った!! 動いた!! ハナシス使えるようになった!!!!!」
父は「本当に助かった。船のみんなも感謝しとる。娘さんにお礼言っといてって。俺の娘がインターネットで探して手に入れたって言ったらみんなびっくりしてたけど、ほんとすごい助かったわ、ありがとう」と私にお礼を言ってきた。
いや、よかった~役に立てて。
いや私、めっちゃ有能か? あと困ったときに娘に頼る発想出てくる父もすげえんだよな。
もうひとつ。その後、父の乗る船にもインターネット環境が入り、ネット閲覧などが可能になった!
外出中、父から電話。※当時はガラケー。スマホのない時代です。
「寿儀、おまえいまどこおる?」
「外やけど。どうしたん?」
「あんな、船の PC、ヤフーとかみるやつあるやん、あれのなんか左のやつが消えた。左のやつに、よくみるやつとか入れとったんやけどそれが消えた。仕事でも使うから困る。船の若いやつに訊いてもわからんて。おまえ、わかる?」
「……わかった。あのさあ、上の方に、『ファイル、編集、表示、お気に入り』って文字が並んどるやん?」
「……? あった」
「そこのさ、『表示』クリックして」
「した」
「ほいだら『表示』の右に出てくる一番上『ツールバー』にカーソル合わせて」
「合わせた」
「右に『お気に入り』って文字列あると思うんやけど、そこクリックして、チェックマーク入れて」
「!!!!!!!! 出た!!! 左のやつ!!! 直った!!!」
「よかった。あとね、画面見てないからわからんけど、たぶん星のマークかなんか間違って押したと思う。そこは今後いらわん(触らん)ようにして。また困ったら連絡して」
「おう、わかった。ありがとう」
(※現在手元に昔の IE 環境がないのでうろ覚えで書いてます。なので内容は正確ではない。これじゃお気に入りツールバーの表示方法やん。そうやなくて左にお気に入りリスト出すやつ。あれは『表示』じゃなくて『お気に入り』から設定やったっけ?)
後日、父から「『パソコン? インターネット? 俺詳しいっすよ~』っていう船の若いもんにも訊いてもわからんかった。そいつに、俺の娘に教えてもらって言うとおりにしたら直ったって言ったら(電話中、彼も父の横でPC見てたんですよね)『え、電話したけど娘さんは外にいて、手元に何もないのに直す方法教えてくれたんですか!??????? なんで!??? 娘さん、すごくないですか!?????』ってめっちゃびっくりしとったわ(笑)、おまえ、なんで画面見とらんのにわかったん?」と言われました。
ええ、親の顔より IE と IE系タブブラウザ見てましたからね……。 もっと親の顔見ろ定期なんですが、なんたって、父親、船乗りですからね……一般家庭よりあんま父親の顔見てねえんだわ。
このとき、正直「父はとても頭がいいのに、どうしてインターネットブラウザの知識少ないんだよ! 娘に頼るなんて……」とショックを受けましたが、よくよく考えれば、問題発生→自分では解決できない→詳しい人間に訊く→解決、という問題解決のプロセスを使っているんですね。頭がいい。娘に、女に訊くなんてみたいな価値観、ない。 問題解決優先だから。やはり頭がいい。
私の育った家庭は機能不全家族で、心理的虐待とか、確かにあったけど、でもこんなおもしろいことも、確かにあった。私はそれを覚えている。