2ch経由やったんかなあ? 思い出せん。でも荒らしとかいなかったし。
熱狂的な自民党支持者が作ってるとか、そういう政治的思想な感じとかじゃなくて、今風に言うと、ほんと“推し”のファンサイトっていうか、女性の管理人さんが作ってるからピンクを基調としたフェミニンな感じのサイトデザインだった記憶ある。絶対男性閲覧者おらんやろ、みたいな。多分、男性がたまたまアクセスしてもブラウザバックすると思う。そういう“女子専用”感ある、00年代初頭のサイトデザインの雰囲気、伝わるかなあ?
いくつかコンテンツ(安倍晋三さんのプロフィール! みたいな)あったけど、当時ってダイヤルアップ接続のユーザーもまだまだいたし、写真とかファイルサイズ重い系のコンテンツはなかったはず。テキストメイン。
いちばん覚えてるのは BBS (インターネット掲示板)で、『安倍さんのここが好き、素敵』『いいですよね、すごくわかります!』みたいに安倍晋三ファンの女性たち(たぶん、年齢層、ちょい高めだったよね。若い女性ではなかったよね、雰囲気的に。たまに、ちょっとだけ政治の話もしてるし。でも他の政党批判とかはしてない。ほんと『安倍晋三』という“推し”のファンサイト)がなんかほのぼのと、上品に交流してて、安倍ちゃんのお膝元、山口4区民の私としては「なんやこのサイトは!???????」ってびっくりしたね。(親しみあるので『安倍ちゃん』『安倍さん』と呼んでます)
「安倍さんのお膝元、下関市と長門市に旅行に行ってきました〜。すっごく素敵なところで、景色も綺麗! ふぐ料理を頂きましたが、とても美味しかったです!」「わあ〜うらやましい! 私も行ってみたいです!」ってやりとり、確か、あった。
もう、めっちゃびっくりして、人生びっくりランキング上位に入る。でも、忘れてた。つい先日思い出した。
で、安倍ファンの女性たちは「キャー!! そのエピソード、とっても素敵!!『アッキー』さん、いつもありがとうございます!」って喜んでて、『アッキー』さんも「いえいえ(笑)私も、主人の大ファンですので、こうして同じファンの皆さまとお話できて嬉しいです」みたいにめっちゃ交流してるわけ。
すごくね?
(当然、2ちゃんねらーでもあったので、この『アッキー』さんは“騙り”か? と思い独自にサーチしました。詳細は書けませんが……いま考えても、おそらく、あれはご本人であった可能性が非常に高いと思われます。どう考えても妻、身内じゃないと書けない、わからないだろうということが書いてあった。なによりもあの愛の深さが証拠で、“騙り”には出せない本物の愛があった)
1998年から2002年にかけて、晋三の地元、下関市のコミュニティ放送『COME ON! FM』で、愛称でもある「アッキー」の名前でラジオパーソナリティを務めていたこともあった[13]。
この頃かなあ……。一致してるもんなあ……。昭恵ご夫人、アクティブでいろいろやっちゃう女性だし。
だから、安倍さんが総理大臣に就任して、第1次安倍内閣が爆誕したときは、「ファンサイトのみんな……!! ついに安倍ちゃんが総理大臣になったよ……!!」って思ったし、「『アッキー』さん、よかったね! ファーストレディ頑張ってね! 絶対『アッキー』さんならできるよ!」とも思った。
安倍さん亡くなられたとき、本当に私、非常に強いショックで体調崩して寝込む日々続いた。まあ私、宗教2世でもあるからね。犯人に対しても、複雑な思いがあり、とにかく色々ショックだった。本当に、かなり強いショックで、トラウマに近くなってる。
イデオロギーとかは抜きにして、地元でよく見かける、身近な存在だったからね。ちょい遠い親戚のおじさん、みたいな。
私、結婚するとき、両家顔合わせやってなくて、かわりに夫にうちの地元来てもらって、両親と祖母と挨拶アンドお食事をしたけど、やっぱりそのお店にも、安倍ちゃんの写真、飾ってあるよね。
ばあちゃんが高齢やから立派な料理の量、あんま食べきれんで、でも残すのもったいないし、お店のひとに申し訳ないから(そういう結婚の挨拶に使うような格式高いお店やからね、余計に気ぃ使うよね)、ばあちゃんの分の料理、めっちゃ食べた。よかった、私、少食な女やなくて。そういう事態が起こることも事前に考えて、誰がどこに座るか、席の配置、私が決めたからね(有能か?)。
とある夏(第5次安倍内閣の頃)、毎年お盆にある地元の花火大会に友達と行ったんだけど、当時、現職の内閣総理大臣である安倍ちゃんの気配をなんか感じて(!??)(お盆やから里帰りしてくるんやわ)、友達とダッシュで追いかけたことがある。
でも安倍ちゃんは行きつけのお店に入っちゃって、総理大臣を警護する屈強なSPさんたちしか見れなかった。だから、私は直接安倍ちゃんを見たことはないんよね。残念やけど。
コロナ禍、『国民にマスク配布します!!』という、いわゆる“アベノマスク”の発表があったときは、当時なんかちょっとショックっていうか、夫とふたりで「そッ……かあァ……」ってなったけど、でも、まじあのコロナ禍、歴史の教科書絶対乗るやつだったから、ほんと疫病禍だったから、まじあのとき私もびっくりしたし、大変ななか、安倍ちゃんよく頑張ったと思う。
マスク、いまも家のどっかにある。安倍ちゃんの形見やね。ありがとう。熱狂的な自民党支持者が作ってるとか、そういう政治的思想な感じとかじゃなくて、今風に言うと、ほんと“推し”のファンサイトっていうか、女性の管理人さんが作ってるからピンクを基調としたフェミニンな感じのサイトデザインだった記憶ある。絶対男性閲覧者おらんやろ、みたいな。多分、男性がたまたまアクセスしてもブラウザバックすると思う。そういう“女子専用”感ある、00年代初頭のサイトデザインの雰囲気、伝わるかなあ?
いくつかコンテンツ(安倍晋三さんのプロフィール! みたいな)あったけど、当時ってダイヤルアップ接続のユーザーもまだまだいたし、写真とかファイルサイズ重い系のコンテンツはなかったはず。テキストメイン。
というか、いまでこそ政治家って公式ウェブサイトやブログ、SNS あるけど、そんなのない時代の話ですからね。約25年前ですからね。四半世紀。
いちばん覚えてるのは BBS (インターネット掲示板)で、『安倍さんのここが好き、素敵』『いいですよね、すごくわかります!』みたいに安倍晋三ファンの女性たち(たぶん、年齢層、ちょい高めだったよね。若い女性ではなかったよね、雰囲気的に。たまに、ちょっとだけ政治の話もしてるし。でも他の政党批判とかはしてない。ほんと『安倍晋三』という“推し”のファンサイト)がなんかほのぼのと、上品に交流してて、安倍ちゃんのお膝元、山口4区民の私としては「なんやこのサイトは!???????」ってびっくりしたね。(親しみあるので『安倍ちゃん』『安倍さん』と呼んでます)
「安倍さんのお膝元、下関市と長門市に旅行に行ってきました〜。すっごく素敵なところで、景色も綺麗! ふぐ料理を頂きましたが、とても美味しかったです!」「わあ〜うらやましい! 私も行ってみたいです!」ってやりとり、確か、あった。
それ、“『推し政治家の聖地巡礼』”やん。
そう、このファンの方々、山口4区民ではないのである!!!!! それもびっくり。
あと、たぶん春帆楼行ってるよね。伊藤博文に女将さんが当時ご禁制のふぐ出しちゃって、うまいうまい、よし、ふぐ解禁! (まあ伊藤博文は幕末に高杉晋作とふぐ食べてたんですけど…)の店だもん。それに明治25年(1895)に下関条約を結んだ場所、春帆楼だし。
まあ他にも地元民の中で有名な店あるけど、絶対そのレベルの店行ってるよね。唐戸市場で激安でふぐの寿司を買えるけど、絶対、春帆楼で『トラフグ』食べてる。リッチ。
(ふぐってさあ、高級魚のイメージ強いから知らんひと多いけど、およそ180種おるんよ。だから価格が安いフグもある。だって学校給食にふぐ出るし。雑炊だけど。安いふぐ刺しもある。最高級はトラフグ。さかなクンさんの帽子はハコフグ。さかなクンさんはフグが大好きでめっちゃ詳しい)
で、もっとすごいのが、たまに、安倍晋三の奥様、安倍昭恵夫人ご本人と思われるメンバーが BBS に書き込みしてて、『主人の、こんなエピソードがありました』『きょうの主人はこんな感じでした』(なんか、「萌え」なエピソード多いんよね。ベッドで寝ながらお菓子たくさん食べてる。チョコとかシュークリームとか。しかも、お菓子のパッケージでベッド散らかってる、みたいな。これはメディアとかでも紹介されてたと思う。まあ、昭恵夫人、森永製菓の家系やからね)ってファンが喜ぶエピソードとかを定期的に投下、書き込みしてたんよね。
ちなみに昭恵ご夫人の HN (ハンドルネーム)は『アッキー』。これは覚えてる。あと確か、『アッキー』さんは「赤いフォントカラー(#FF0000)」で書き込みしてた。当時のよくある BBS って、誰の書き込みかわかりやすいように、任意のフォントカラー選択できる機能あったやん。赤文字は、『アッキー』さん! みたいな、
最初は「? この『アッキー』って人、誰? なに? どういう存在?」と思ったのですが、ログを読んで“理解”したんですよね。
もう、めっちゃびっくりして、人生びっくりランキング上位に入る。でも、忘れてた。つい先日思い出した。
で、安倍ファンの女性たちは「キャー!! そのエピソード、とっても素敵!!『アッキー』さん、いつもありがとうございます!」って喜んでて、『アッキー』さんも「いえいえ(笑)私も、主人の大ファンですので、こうして同じファンの皆さまとお話できて嬉しいです」みたいにめっちゃ交流してるわけ。
このやりとり、ほぼ完璧に覚えてる。『アッキー』さんのレス読んで、『アッキー』さん、めっちゃ素敵な女性やん、って思った。だって、ファンの人たちに「私、妻だけど?」みたいなマウントとったり全然してなくて、優越感とかあってもおかしくないのに、全然そういうの出てなくて、控えめで、エピソードも、夫のことをよく観察してるし、すごく夫である安倍さんのことを愛しているのが伝わってきて、本当に安倍さんを愛してるんだな、素晴らしい関係のご夫婦なんだなと思った。『愛』があった。あれは、『愛』だった。それを、強く覚えている。
私は機能不全家族で育ったから、両親は夫婦喧嘩すごいし(面前DVは心理的虐待)、父は母を怒鳴るし、茶碗飛んでたし、父は物に当たるから窓ガラスとか家を破壊するし、母は私に父の悪口、愚痴ばかり言うし、だから、『愛』あんまりわかんなくて(飼っていた犬が『愛』を教えてくれた)、こんな『愛』のかたち、あるんだ、って当時中学生だった私は思った。
それに、BBS のログ見てると、『アッキー』さん降臨のタイミングが、すんごい適度なんよ。毎日とかではなくて、たまに降臨する感じ。書き込みも、長文すぎないし、適度。“わかってる”。
(「ちなみに主人もこのサイト知ってますよ(笑)たまに見てます」「え〜!! 本当ですか!? きゃ〜! 」も、確か、あったはず。)
すごくない? 現代風に言うと、『推し』のファンサイトに『推しの妻』が降臨して、萌えエピソード投下してるの。神降臨やん。それを、ファンが受け入れて、交流してる。当時、音楽バンドのファンサイトとかも見てたけど、ないやん、まずそんなこと。バンドマンの妻がファンサイトに降臨とか、ありえんやろ。
すごくね?
(当然、2ちゃんねらーでもあったので、この『アッキー』さんは“騙り”か? と思い独自にサーチしました。詳細は書けませんが……いま考えても、おそらく、あれはご本人であった可能性が非常に高いと思われます。どう考えても妻、身内じゃないと書けない、わからないだろうということが書いてあった。なによりもあの愛の深さが証拠で、“騙り”には出せない本物の愛があった)
1998年から2002年にかけて、晋三の地元、下関市のコミュニティ放送『COME ON! FM』で、愛称でもある「アッキー」の名前でラジオパーソナリティを務めていたこともあった[13]。
この頃かなあ……。一致してるもんなあ……。昭恵ご夫人、アクティブでいろいろやっちゃう女性だし。
あとさあ……00年代初頭インターネットユーザーって、「当時、高価である PC が買える(当時のメーカー PC は高い。自作 PC 勢はもうガチのヲタクだからあれだけど)」「PC の操作スキルがある」「インターネット回線があり、インターネットの仕組みを理解している」選ばれし民やん。2025年のいまみたいに、誰もがスマホ持ってる時代じゃなくて、「ある程度裕福で、リテラシー高いユーザー」多かったよね。知的レベル高かった。同世代と交流すると、基本、金持ちの子供多いな? って感じたし、医者が趣味で作ってるウェブサイトとか多かった。さらにサイト管理人とかね、スキルいるよね 私も13才から HTML手打ちで管理人やってましたけどね……いまもやってるよ。
だから、安倍さんが総理大臣に就任して、第1次安倍内閣が爆誕したときは、「ファンサイトのみんな……!! ついに安倍ちゃんが総理大臣になったよ……!!」って思ったし、「『アッキー』さん、よかったね! ファーストレディ頑張ってね! 絶対『アッキー』さんならできるよ!」とも思った。
安倍さん亡くなられたとき、本当に私、非常に強いショックで体調崩して寝込む日々続いた。まあ私、宗教2世でもあるからね。犯人に対しても、複雑な思いがあり、とにかく色々ショックだった。本当に、かなり強いショックで、トラウマに近くなってる。
イデオロギーとかは抜きにして、地元でよく見かける、身近な存在だったからね。ちょい遠い親戚のおじさん、みたいな。
私の父方の親戚が病死したとき、私の祖父の家のお仏壇にお線香上げに来てくれたしね、安倍さん。もちろんお付きのひとを連れて。2010年ごろだったから、体調不良で総理大臣辞めて、国会議員だった頃やね。
ただ、安倍さんノンアポで来ちゃったから、祖母が「いきなり来た!!! 掃除しとらんのに!!!! 来る前に電話してほしい!!!!!」って言ってた。それはそう。
(私がうっかり死んだ場合も、タイミングにもよるけど安倍さん、お線香上げに来てくれた可能性、あった。まあ自分が死んでたらなんもわからんけど)
というか、私が長男の娘だったら、祖父母宅に住んでる可能性あって、寝起き、すっぴん、頭ボサボサ、服よれよれの状態で、ピンポーン、誰か来たな? はーい、ガラッ(引き戸)、あ、安倍晋三、元内閣総理大臣!! って可能性、あった。よかった、次男の娘で、と思った。ノンアポはビビる。
私も子供の頃から祖父母の家行くと「うちに来たらまず仏さんに挨拶せんといかんよ」と教わったので、必ず、お仏壇でお線香あげてたんですが、その話聞いてからは、祖父母の家行くたびに、えっ、安倍ちゃんがこのなんか紫のゴージャスな座布団に正座して……蝋燭にチャッカマン(なんか紫色。昔はマッチだった)で火をつけて、お線香にその火を灯して? お線香をなんか手で仰ぎながら火消えるいい感じにして(たまに失敗するよねあれ)、なんか砂みたいなの入ってる器にお線香立てて……!???? この仏具を……手に持って……!? おりんを、鳴らして……!? 両手を合わせて……? あと名称知らんなんか酸素遮断して蝋燭の火消すやつで火ィ消して……?
えっ!? 内閣総理大臣がここでお線香を!??? 脳バグる。
すごくない!????? その後、安倍ちゃんの総理大臣在職日数が増えて行くたびにえっ……!? となり……。
私の友達が、第1次安倍内閣の総理辞任後、安倍さんが私の家のすぐ近所をひとりで、なんか元気なさそうに、とぼとぼ歩いてたの見たことあるらしくて、えっお付きのひといないの!? ていうか、徒歩!??? 車は!???? ってびっくりしたらしい。
その話聞いて、えっ!? 私の小学校の通学路を!? 徒歩で!? ひとりで!? あの、学校帰りに大雨が降った日、靴の中まで全部水入ってきて、がっぽんがっぽんなって、いっそ水たまりに足突っ込んで遊んだれってやってた、あの道で!??? しかも私、運転免許ないから、大人になってもめちゃくちゃ日々歩く道だし、私もびっくりした。
あとさ、地元に、めちゃくちゃ美味しい焼肉屋さんあって、父がたまに連れてってくれるんだけど、そこ、店内に店主さんと安倍ちゃんのツーショット写真、飾ってあるからね。
ちなみにお店はコリアンタウンにあって、観光名所でもあるんやけど、私の地元って歴史的に、在日朝鮮人・韓国人との繋がり深いから。
でも、在日のひとって、選挙権、ないやん。小学生の頃、うっかり、在日の友達に「お父さんと期日前投票行ったんやけどさ〜」って話したら、「あ、ごめん、うちの親、選挙権ないから、わからん」って言われて、そうか!!! しまった!!!!! って思った。謝った。
私の地元のひと、あんまり「選挙行った?」って会話、してなかった気がする。創価学会の信者はめっちゃ選挙の話してくるけど。なんか色々ね……あるんすよ……。
そういうの、知ってるからなあ。政治家ってほんと、選挙区での心配りとか、大事なんやな、って。
私、結婚するとき、両家顔合わせやってなくて、かわりに夫にうちの地元来てもらって、両親と祖母と挨拶アンドお食事をしたけど、やっぱりそのお店にも、安倍ちゃんの写真、飾ってあるよね。
ばあちゃんが高齢やから立派な料理の量、あんま食べきれんで、でも残すのもったいないし、お店のひとに申し訳ないから(そういう結婚の挨拶に使うような格式高いお店やからね、余計に気ぃ使うよね)、ばあちゃんの分の料理、めっちゃ食べた。よかった、私、少食な女やなくて。そういう事態が起こることも事前に考えて、誰がどこに座るか、席の配置、私が決めたからね(有能か?)。
とある夏(第5次安倍内閣の頃)、毎年お盆にある地元の花火大会に友達と行ったんだけど、当時、現職の内閣総理大臣である安倍ちゃんの気配をなんか感じて(!??)(お盆やから里帰りしてくるんやわ)、友達とダッシュで追いかけたことがある。
「ん!? なんかあのへん安倍ちゃんおらん? なんか、SPっぽいひとおる!」(私、勘がいい)
「まじ?」
「追っかけよ! ダッシュや!!!」
「急げ! 急げ!」
「うおおおお! 安倍ちゃん見てえ!! 本物の総理大臣見てええええ!!」
めっちゃ、走った。
でも安倍ちゃんは行きつけのお店に入っちゃって、総理大臣を警護する屈強なSPさんたちしか見れなかった。だから、私は直接安倍ちゃんを見たことはないんよね。残念やけど。
でも、本物の SP さんや! いかつい! ごつい! 真夏なのに黒いスーツで、なんか、スーツの下、“ある” よね。すごい! 暑そう!! かっこいい!!! って大興奮した。
だって子供の頃、テレビで『日本で絶対に暗殺できない、唯一の存在が内閣総理大臣(天皇陛下など皇族除く)』って言ってたの、覚えてるからね。もう、すんげえプロフェッショナルやん? SP。貴重な体験したわ。
母は、社会主義者、平和主義者なんだけど、たまたま駅前で安倍さんが演説してて、握手してもらったらしい(なんで???)(政治、好きだから、演説聞いてみようと思ったんだと思う)。
「手が、マシュマロみたいにふわふわで、あったかくて、気持ちよくて、笑顔が素敵で、すごくいいひとやった。ファンになりそう、次の選挙、安倍さんに、自民党に入れようかな」とか言ってて、死ぬほどびっくりした。
(あと安倍さんのお父上、安倍晋太郎さんとも握手したことあるらしい。マジかよ)
職場で「この人、この党に入れましょう」って強制的に指示されて、投票所までバスで強制連行されても絶対従わずに、イデオロギー貫いて、ずっと社会党に投票してたあの母が!???(社会党なくなったあとは困ってた。やっぱり、共産党には入れたくないらしくて。でも私が、共産党は生活保護受けたい人のサポートしてるらしいよ、やっぱり弱者に優しいみたいよって話したら、それを評価して、共産党に投票したこともある)
でも安倍さんってそういう人間的魅力、やっぱりあったんやないかな。トランプ大統領とも大の仲良しだったし。理詰めで話すタイプだし、頭いいし、私は安倍さんの政治センスは評価してた。いやでも、ちょっと、……それは……って部分は確かに色々あったし(自衛隊を国防軍、うーん)、そもそも自民党、おいおいおいおいな部分、山ほどあるけど。
そう、私は自民党支持者では、ない……というか選挙のたびにめっちゃ悩んでる。
ネットでも情報収集するし、選挙公報も当然読む。公約、マニフェスト大事。あと夫や友達と衆院選、どうする? って相談する(イデオロギーの押し付けはしない)。最高裁判所裁判官 国民審査もめっちゃ調べて、「×」つけまくる。(夫も絶対選挙行くから、私も一緒に投票行く)
政党マッチングみたいなウェブでできるサービス(おっ便利やん〜)を使って判断材料にできるかな、と試したところ、私は 2021年衆院選では『NHKから国民を守る党』、2024年衆院選では『参政党』にマッチングしてしまい、なんでだよ!!!!!! 全然、思想違うんやけど!!となった。ほんと、椅子から転げ落ちるレベル。もう、むしろ爆笑。
というか、なぜ私が最終学歴中卒(実質小卒、高校ちょっとだけ行ったけど2回中退)なのに、政治をほんのちょっとだけ知ってるかを説明する。
私が6〜7才の頃、父が母のことを「やーい、社会主義者、共産主義者!(※母は社会主義者、社会党支持者)共産主義は失敗したのにまだそのイデオロギー持っとるん、アホやん」ってバカにしてて、父に「なんの話しとるん? 共産主義って何?」って質問したら、父が共産主義について子供にもわかりやすく説明してくれたことある。
「日本の北西に、ソ連(ソビエト連邦)っていう国があって、ほら、ここや(地球儀、当然天体儀付きが居間にあるからすぐ手にとる)。この国は共産主義を採用しとったんやけど、共産主義は、みんなおんなじ給料。だから、どんなに頑張っても仕事しても、怠けとっても、同じ給料。で、みんなやる気なくした。店や工場も、全然いいものを作れん。そうなると、金、経済が回らん。だから失敗して、ソ連は崩壊した。いまは名前が変わって『ロシア』になった」
「ちなみに日本やアメリカは、資本主義。資本主義は優秀な人や、頑張った人は高い給料貰えるようになるし、店や工場も、よりよい商品をつくる。だから、金、経済が回る。こっちのほうがうまくいっとって、やけんほとんどの国は資本主義を採用しとる。まあそんかわり、金持ちと貧乏人の差がデカくなるけどな」
父の説明はわかりやすく、すぐ理解できた。(だいたいこんな内容だったと思う)
「その通りやん! なんで失敗したのに、お母さんはまだその共産主義を支持しとるん? そういう世の中を望んどるん?」
「だってみんな平等じゃないと。お金持ちがいて、贅沢してるのに、貧しさに苦しむひとがいるのは不公平。私の実家、5人兄弟で貧乏だったし……。おばあちゃん(母の母、1926年 大正15/昭和元年生まれ)も子供の頃、親が死んだからお金なくて働かないと行けなくて、だから小学校ほとんど行けなくて……(でも成績常にトップ。同率1位の男子は大学に行き、のち高校の校長になった)。おばあちゃんもずっと社会主義者で、社会党に投票してたし」
「うーん。それは大変やったと思うけど、でも失敗したやん」
「その通りやん! なんで失敗したのに、お母さんはまだその共産主義を支持しとるん? そういう世の中を望んどるん?」
「だってみんな平等じゃないと。お金持ちがいて、贅沢してるのに、貧しさに苦しむひとがいるのは不公平。私の実家、5人兄弟で貧乏だったし……。おばあちゃん(母の母、1926年 大正15/昭和元年生まれ)も子供の頃、親が死んだからお金なくて働かないと行けなくて、だから小学校ほとんど行けなくて……(でも成績常にトップ。同率1位の男子は大学に行き、のち高校の校長になった)。おばあちゃんもずっと社会主義者で、社会党に投票してたし」
「うーん。それは大変やったと思うけど、でも失敗したやん」
「でも……」
こういうやりとりあったんやけど、なんか英才教育受けてるんだよな、いま思い返すと。
こういうやりとりあったんやけど、なんか英才教育受けてるんだよな、いま思い返すと。
政治経済、地理、あと理系の会話が飛び交ってるアカデミックなご家庭やん。
あと、うちの実家、一時期、読売、毎日、朝日、三代紙全部とってた狂った時期あるのは前にも書いてたけど、父も休暇中は最新の新聞と、溜まった新聞ひと通り読んでたからね(生活面は絶対飛ばしてる)。
あと、母は選挙行くし、父は船乗りだから、スケジュール合えば期日前投票をバンバン利用してて、私も一緒に連れて行ってくれた。こういうシステムなんや〜って思った。投票して、開票速報見るの、賭け、競馬みたいで楽しい、って父は言ってた(父は競馬はやらんけど)。だから子供の頃から家族で一緒にテレビの開票速報見て盛り上がってた。「やった! 勝った! 自民勝った!」「よっしゃ、あの好かんやつ(議員)落ちたな」とか。母は「あ〜あの人落ちた。まあでも、議席これだけとれたらいいやん」とか言ってた。夫婦でイデオロギー違うけど、なんか、そういうのあった。
私、小学生の頃から、政党ポスターをウォッチする趣味あって、「立派なお宅は自民党のポスター貼ってあるし、木造古めのお宅は共産党のポスター貼ってるなあ。やっぱりお金持ちは自民党支持、あんまお金ないひとは共産党支持なんや」「この地区は公明党のポスター多いなあ。創価学会信者なんやろか」とか観察してた。
それと、「自民党と共産党のポスター両方貼ってあるお宅」(自民党&公明党ならわかるんやけど)を見つけ、母に「どう思う?」って訊いてみたら「うーん、夫婦で支持政党、イデオロギーが違うんやない?」って言われて、頭いいな、と思った。
だから私も有権者になってからは、もちろん真剣に悩んで、情報収集して、考えても投票するけど、開票速報は競馬みたいで楽しい。競馬やったことないけど。
(※両親共に大卒ではない。だから学歴って関係ない)
コロナ禍、『国民にマスク配布します!!』という、いわゆる“アベノマスク”の発表があったときは、当時なんかちょっとショックっていうか、夫とふたりで「そッ……かあァ……」ってなったけど、でも、まじあのコロナ禍、歴史の教科書絶対乗るやつだったから、ほんと疫病禍だったから、まじあのとき私もびっくりしたし、大変ななか、安倍ちゃんよく頑張ったと思う。
コロナ禍、ちょうどスーパーでパートしてて、“エッセンシャルワーカー” やってたけど、すごかった。
マスクない、消毒液ない、トイレットペーパーない(オイルショックかよ)、次はホットケーキミックスがない、ネット民が“蘇”作るから牛乳売れたりして、あと家族全員で来たりとか、客が喧嘩しだしたりとか、「コロナは陰謀!! 従業員はマスク外せ!!!」みたいなノーマスククレーマーとか、もうすごかった。
あとそれまでは『レジ待ちの列は「前詰めろ」だったのが「距離空けろ(ソーシャルディスタンス)」』になって、『(主に接客にあたる)従業員は原則マスク禁止』だったのが『必ずマスクしろ』 と、180度言うこと変わって、ああ、玉音放送流れた時、180度、価値観、常識が変わったって話きくけど、こんなニュアンスあったのかな、って思った。
(私、台風とかで鍛えられてて危機察知能力高いので、マスクも消毒液も爆速で買いました。だから困らなかった。でも必要な分だけ買った。あと主婦ネットワーク強い。2020年1月に、海外旅行好きのパート仲間の女性に、更衣室で「また中国でなんか新種のウィルス見つかったって」って教えてもらって初めてその情報を知り、「じゃあ SARS みたいになって海外行けなくなるかもですね」「そう。SARSの時すごく困ったから、今回もやばいかも」って話してた。だから早めにマスクと消毒液買えた。母にも情報流したり聞いたりしてた。だいぶ経ってから、お客さんからマスク、消毒液ないか、のお問い合わせあった)
私、コロナ禍のカオスなスーパーで頑張って仕事しすぎて心臓神経症になって、もう限界になって辞めた。身体が悲鳴あげてた。だから安倍さんが持病悪化して総理辞任するってなったとき、めっちゃ気持ち、わかった。総理大臣はスーパーのパートの私なんかとは比べ物にならない、想像もできないくらいの、プレッシャー、仕事量、責任感あっただろうし、まじ無理せんでほしいと思った。また安倍叩きするメディアに殺意抱いた。
しかし一時期のメディアとか、インターネットの安倍バッシング、明らかに行き過ぎてて、おいおい……って思ったね。なんか悪魔みたいな扱いやったやん。
ちなみに東京に引っ越してきてから、ある女性と政治の話になって「私、選挙区、『“山口4区”』だったので」って言ったらすんごい顔して絶句された。元山口4区有権者を見るのは初めてか?
というか、私の出身地、事前に話したやん。「ふぐですね!」とか言ってたやん。山口4区であることに気づかんかったか? まあそのひとは神奈川の人間やったからな。あんま地理的に遠い場所って詳しくないよね。
よく考えたら、私、20才で選挙権を得て有権者になったけど、27才(28才になる手前ギリギリ)で東京に引っ越したから、約8年しか山口4区有権者じゃなかったのか。そう考えると、短いな。ほんと、安倍さんおらんようなったの悲しい。お別れの会、行きたかった(体調悪くて無理だった)。
安倍さんに、一度ぐらい、会ってみたかった。握手、してみたかった。
『アッキー』さん、いまどうしてるかな。体調とか、メンタルとか、大丈夫かな。SNS では、やっぱりすごくアクティブで、笑顔の写真をたくさんアップしてるけど、無理とかしてないかな。
安倍さんが亡くなられたあの日、たまたま私は病院にいて、待合室でテレビの真正面に座ってたから、あの衝撃的な映像を、見てしまって、これ、見ないほうがいい、私は精神疾患あるからだめだ、と思ったけど、やっぱり見てしまって、老夫婦が「あなた、安倍さんが大変みたいよ……大丈夫かしら」「なんて奴だ、絶対に許されない、こんなことは。こんなことがあってはならない!」と会話してた。私は、あの映像が、音が、焼きついて、離れない。
医療関係者の方々や、いろんなひとが懸命に努力して、でも、安倍さん亡くなってしまって、昭恵夫人が「夫は、最期に私の手を握り返してくれたんです」と言っていたというニュース記事を読んだ。
いま思い返すと、ああ、あの安倍さんのマシュマロみたいな手を、『アッキー』さんは、あの手をずっと握ってたんだな、やっぱり、あの BBS にいたのは、『アッキー』さんは、安倍昭恵さんだったんだなってわかった。
私もいまは大人になって結婚して、夫という存在いるから、もし夫の命があんなかたちで奪われてしまったら、最愛の人を失ったその悲しみは、言葉では言い表せないほどの悲痛、つらさがあると思う。でもきっと『愛』は、『愛』や『記憶』や『想い出』はどんな暴力でも、殺人でも、絶対に奪われない。そう信じたい。
私は、『アッキー』さんが安倍さんのこと、すごく深く愛してたこと、いまも愛してること、一生忘れない。